ニュージーランド 公立高校進学プログラム Western Springs College
渡航者プロフィール | |
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留学先 | ニュージーランド・オークランド |
氏名 | Y.H (女性) |
年齢 | 15歳 |
滞在期間 | 2011年5月~2013年12月(2年8か月) |
参加プログラム名 | ニュージーランド公立高校進学プログラム この参加プログラムの情報を見る |
滞在方法 | ホームステイ |
留学したきっかけ・理由を教えてください。
私は、高校3年間、英語能力と自律心の向上を目的として、ニュージーランドの現地高校に単身留学した。小学校の頃から英語に親しんでおり、自分の英語運用能力を伸ばすためには、英語圏の国に長期間滞在することが有効であると考えたからだ。また、当時私は一人っ子であり、常に親が自分を助けてくれ自立心が育たない環境にいたため、自分の力だけで困難なことに挑戦し、自分の能力を高めたい、自分を成長させたいと強く感じた。そのため、中学2年の時点で、日本の高校に進学せず、単身で英語圏であるニュージーランドに3年間留学することを決意した。この経験を通して得た、英語運用能力と恒常的な自己向上心は、海外の人と対等に意見交換し、国際的に通用する人材になり、日本社会に貢献するという私の夢を実現するための有効な手段になり得ると思われる。
学校生活で最も印象に残っていることを教えてください。
学校生活の中で最も印象に残っていることは、人種間の融合が見られたことである。ニュージーランドは、隣国のオーストラリアほどではないが、白人主義のイメージがあると思われる。渡航以前は、漠然と白人は白人同士、マオリはマオリ同士で友達になるのだろうな、と感じていた。しかし、実際学校で生徒の様子を見ると、白人もマオリも、パシフィック系移民も、人種の枠を超えて仲良くしていた。ニュージーランド、特にオークランドは市民の半分近くが移民であり、外国人に優しい街というのは本当であり、人種間の対立は少なく、人種の多様性が受容されているのだ。
滞在先(ホームステイ)で印象に残っているエピソードを教えてください。
家族以外の人と長期間一緒に住むのは大変だしストレスフルだと感じたのが正直な感想である。実際、私は3回ほどホームステイ先を変えた。確かに、ホームステイ先の家族の別荘に連れて行ってもらったり、料理の準備を手伝ったり、楽しい経験もたくさんさせて頂いた。英語が伸びたのもホストファミリーとの積極的な会話があったからである。しかし、洗濯の仕方・頻度、食事の量、家族としての手伝いなど、様々な場面で注意されることがあった。小言も積み重なれば大きなストレスとなり、その結果、自分で自分を殻に閉じ込め、家族とのコミュニケーションに消極的になってしまった。今振り返れば、もう少し我慢して、家族に感謝の気持ちを持って接していれば、より良好な関係が長期的に維持できたと考える。
参加した課外活動について詳しく教えてください。
クラブ活動には参加したことはない。放課後は家に直帰して勉強したりホストファミリーと話したりした。Kiwiの友達を作るにはスポーツが一番手っ取り早い方法だったんだろうなあと今となって思う。
留学中、どのような友人ができましたか?
交友関係について教えてください。主に留学生の友達ができた。特に仲が良かったのは、フランス語圏のニューカレドニアから来たステフィーだ。彼女とは休日一緒にシネマ行ったりランチを食べたりした。フランス語なまりの彼女の英語がすごくかわいかった。ニューカレドニアに行ったら彼女の家にステイさせてもらえると言われたので、ニューカレドニアにいつか行くことを楽しみにしている。
留学中、どのようなことで最も困りましたか?又、その点をどうやって克服したか教えてください。
日本の当たり前が全く通用しないこと。例えば、部屋に独りで長時間こもると変に思われるとわかっていたので、自分の部屋には勉強と寝るとき以外いないように努めるなど。自分のプライベートな時間を家で作るのが難しくて一番困った。そういうときは外出して図書館によく行って独りの時間を楽しんでいた。
日本の学校や生活と大きく異なると感じた点を詳しく教えてください。
人種の多様性が最も大きく異なる。日本では、日本人が圧倒的に多く、ブラジル系移民の子もいるが、学年で5人程度と私の学校では少数しかおらず、誰もが日本語を話し意思疎通していた。これに対して、ニュージーランドの高校では、ヨーロッパ系移民、生粋のニュージーランド人、マオリ、パシフィック系、アジア系移民(インド人含む)、中東系移民など、本当にたくさんの国から来た生徒と接することができた。話されている言語も英語だけではなく、フランス語、スペイン語、インド語など多様な言語を耳にした。インド人の数学の先生のインドなまりは本当にすごくて、現地の人も理解するのに苦労していた(余談)。このような人種の多様性、言語の多様性、価値観の多様性は、日本では教科書的には学べても、実体験としては学べないことである。これを若いうちに経験できたことで、どのような人種の人も受容することの意義を見出した。
留学して良かったと思うことを教えてください。
自分の可能性の幅が広がったこと。Studying abroad indeed broadened my horizons. 英語ができ、異文化で生活した背景を持っていると、よりよい教育(海外留学、インターン、ボランティア活動等)機会に恵まれる。実際、私は、TOEFL107以上の学生しか参加できない、2週間のLSE-PKU Summer School in Beijing 2015に参加し、日本では受けられない高いレベルの国際経済学を勉強する機会を得た。海外で生活し、英語が堪能になればなるほど、よりよい教育を受ける機会が増え、自分の成長につながるのである。
大学(東京大学)に入ったときは、日本人ばかりしかいなくて、当たり前だけど日本語が話されてて、非開放的な雰囲気に馴染めず、自分の明るい性格から友達はできるものの、本当の友人を見つけられる気がしなくて精神的になんだか疲れていた。時間が経つうちに慣れていって、次第に殻を破って素を見せてくれる子も増えたけど、まだまだよくわからない友達も多い。秘密のベールに隠されている感じの人が多いのが辛い。
留学前と後で、あなた自身はどんな点が変わりましたか?或いは周囲の人たちにどんなところが変わったといわれますか?
いい意味で自分に自信を持って、自分の道を進む精神力。周りの目はどうでもよくて、私は英語と海外への高い関心・理解を武器にして、勉強も課外活動も頑張って、国際的に活躍するのだー!
これから留学する後輩たちにどんな言葉をかけてあげたいですか?
留学の目的意識を、出発するために文書化しよう。
帰国子女枠受験について:いつ頃からどのような準備を行いましたか?又、志望校はどのように決めましたか?
高校2年生のときくらいに東大受験をぼんやり考え始めた。本格的な準備をし始めたのは日本帰国後…。自分のTOEFLの点、高校での成績、やりたいこと、教育のレベル、留学機会を考えたら日本では東大くらいしか行きたいところがなかったから、東大に決めた。
日本での大学進学を決めた理由は何ですか?
国家公務員になるという選択肢を残すため。
受験に際し、留学経験がどのような点でプラスに評価されたと思いますか?
大学でも留学し、東大のタフでグローバルな教育改革に貢献できると思われたのでしょう。